こんばんは。
強烈だった日のお話 その2のお時間です(笑)
っとその前に・・・画像はお部屋の入口に飾ってあったプレート。
I have found the one who my sould loves. – song of solomon 3:4
和訳) 私の魂が愛する人に出会った – 雅歌 3:4
これを目にしたとき、最初は私へのメッセージだと思ったんです。
そっか、今、私が想っている相手は間違いではないんだ・・・と。
その後、部屋のあちこちに十字架を始め、聖書に関することやキリストにまつわるプレートやアイテムが随所に飾ってあるのを見て、あ~これはきっとここのお家の人にとって、キリストはそういう存在なんだ!と気づいたんです。
もちろんここに気づいたのはその1に描いたお話を聞く数日前のことでした。
そんなことから迎えた強烈だったあの日。
動揺することが起こったのは彼女と話した後に私のメンターと部屋でオンラインセッションをしていたときのことでした。
メンターと2回目のセッションをネットを通じてお部屋で受けることは前もって彼女に伝えていて、彼女も了承してくれていたのですが、セッション途中、いきなり部屋のネットが繋がらなくなったんです。
私は急いで自分が日本からレンタルしてきたwifiに切替、セッションを再開したのですが、メンターが私にとあるワークをやってみるように言い始め、私がやり始めたところ・・・・
ゲストのプライベートは邪魔をしないと最初からずっと言っていた彼女が自分の部屋から出てきて、“この部屋でそれはやらないで・・・”と言ってきたのです。
私は目をつぶって宇宙と繋がるワークをやっている途中だったのですが、彼女が私の名前を呼んだ瞬間、何が起きたのかわからず、彼女の顔を見ると、再び彼女から・・・
“この部屋でそれはやらないで・・・”と。
私はメンターと繋がっているノートPCをもって、外に出て、再びワークを再開したのですが、動揺しているので全く集中できず。
ネット越しで私をガイドしてくれていたメンターは何も気づくことなくそのまま目を閉じたままワークをしていました。
ようやく落ち着きを取り戻した時、メンターから目を開けていいという指示がありました。
そして、メンターから“繋がってみて、何かメッセージはもらえたかい?”と。
そんな質問に考えることもなく、私の口から出てきた言葉は・・・
“全ての答えは私の中にある”
とういうことでした。
この言葉がどうして出てきたのか、私には瞬時にわかりました。
それは、聖職者である彼女のことともサイキックである私のメンターのこともどちらも信じるけれど、世の中には自分が認めるものだけがホンモノだと思う人もいるからです。
セッション前にそのお家の方と話、彼女が聖職者であり、特別な体験をした話を聞いたのも、セッション中、ネットが途中で繋がらなくなったのも、部屋の中でこのワークをやってはいけないと言われたのも、偶然ではなく必然であり、どちらか一方がもう一方を否定したとしても、自分は影響されることなく、自分の中にある答えが答えであり、それを信じていればいい・・・ということを再度強く教えられた気がします。
正直、彼女がメンターをネガティブだと感じたのを私は感じました。
ただ、私は聖なる光を持っている話す彼女の話も信じていると同時に、私のメンターをサイキックとしても、メンターとしても信じている部分がありました。
けれど、彼女からワークを部屋でやってはいけない・・・と言われた時、動揺しただけでなく、“このワークには何かネガティブな副作用があるのではないか・・・”と疑ってしまった自分がいたのです。
それでも自分の選択を信じました。
私は彼女の意見を尊重し、部屋の外へ出て、更に私のメンターのことを否定することなくセッションを最後まで受けました。
これが先ほども書きましたが、メンターに質問されたことへの答えとして私の口からでた、
“全ての答えは私の中にある”
ということに通じるんだと思います。
ふ~~~~ぅ。長くなってしまいましたが、この後・・・私は滅多にないことを1日のうちに2回も経験し、更に予定が狂うことになったのでした・・・
この続きはまた後で・・・
つづく・・・(笑)